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夫が経営してる喫茶店の名前です。スペインのグラナダ、アルバイシンにあります。夫の母と叔母は『teteria』というものとその言葉自体を作り出した創始者です☆ ここでは、喫茶店やスペインでの暮らし等々、自由気ままに書いていこうと思っています♪
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今日は私の母方の祖父について書きたいと思います。

祖父は87歳で昨日(2日)この世を去りました。

まだ心の整理がついていませんが、言葉にして少し整理をしてみようと思いました。また、思い出として、書き留めておきたいとも思いました。一文、一文、祖父を思い出しながら書いていると、涙が止まらなくてなかなか文章が進みませんが、少しずつ休みながら書いてみようと思います。

母方の祖父母は、子供達が結婚をして家を出てからずっと、二人で田舎暮らしをしていました。私達、孫はいつも夏休みになると田舎の祖父母の家に集まり、共に同じ時を過ごしました。悪戯をして怒られることもしばしばでしたが^^;山や川に連れて行ってくれたりして、よく遊んでくれました。また、薪で焼いたモチモチのとうもろこしを食べさせてくれ、その味は今でも鮮明に思い出すことができます。勉強家で物知りの祖父は頼りになるおじいちゃんでした。

と、毎年一度は田舎に帰っていましたが、大きくなるにつれ帰ることが少なくなり、そして、帰らない年が続きました。でも車を運転し始めてからは、再び田舎に帰るようになり、祖父母の顔を見ることも多くなりました。と言っても、一年に一度か二度ですが。もっと近くにいたら、もっと頻繁に会えたと思いますが、同じ県内とは言え、実家からかなり離れていたので、なかなかすぐに行くことはできませんでした。

二人生活になり、長い年月が過ぎましたが、今から4年ほど前に祖母が亡くなった為、それ以降ずっと祖父は一人暮らしをしていました。祖母がいなくなった当初は、かなり気を落としていました。私はその約一年後にスペインへ来ることになったので、祖父の世話をしに家に行くことはできなくなりました。できることは、というと、帰省をした時、お土産を片手に顔を出すことくらいでした。

そして去年の冬、帰省をしている時に、祖父が末期のガンだという知らせを受けました。海外にいた妹が祖父に電話をした時、嘔吐を繰り返すと言っていたのを聞いて、疑問を感じ、医者に診てもらうよう薦めたようです。そして、末期の咽喉ガンだということが判明しました。末期、ということで、気づくのが少し遅かったようです。一人暮らしなので、少しずつ進行していったガンに気づくことは難しく、私達も離れて暮らしているので、なかなか気づいてあげられませんでした。

私と夫は急いで祖父の家に向かい、泊り込みで世話をすることにしました。入院は決まっていましたが、病院の事情か何かですぐにはできなかったので、入院までの数日間、祖父と一緒に田舎の家で過ごしました。祖父は、ガンによって喉が細くなっていたので、喉に通りやすい物しか食べれませんでした。見た目も気持ちも健康体で、今まで同様、畑仕事をしたり、車の運転をしたりしていましたが、体に負担をかけてはいけないので、無理をさせないようにしました。そして毎食、栄養バランスのとれた、喉に通りやすい食事を作りました。普段、私用に作る時は、手抜きで出汁の素を使ったりするんですが^^;この時は全部、煮干や昆布などから出汁をとって、なるべく体にいい物を作ってあげました。入院中、思い出して、あの時のスープはおいしかった、と言ってくれていたみたいです。嬉しい。

一緒にどこかドライブに行こうか、と言うと、祖父は、それより病気に打ち勝つ為の方法を考えたい、と、スーパーや農家の直売店へ行き、喉に通りやすい物、体にいい物を一緒に考えて、いろいろと買いました。また、家が寒くならないように、と灯油を買ったり、祖父の好きなハチミツを買って、祖父の大好きなコーヒーに入れて飲んだりしました。スペインから持って来たコーヒーを気に入って飲んでいましたが、私が煎れたコーヒーは薄すぎたようで(私は薄いコーヒーが好みなので)、不評でした^^;そこで夫が、じゃあ僕が、とコーヒーを煎れると、それはおいしそうに飲んでいました。ハチミツ入りのコーヒー、とてもおいしかったです。

またこの滞在中、いろいろな話をしてくれました。こんなに長く人と一緒にいる時間は、祖母が亡くなってから初めてだったと思います。話し出したら止まらず^^私達も興味深く聞いていました。

好奇心旺盛で行動力のあった祖父は、若い頃、東京へ上京し、そこで仕事を見つけ働いていました。本の製本などの仕事もしていたようです。また、東京ではよく、隅田川を船で下って、歌舞伎座へ行っていたようで、その時の様子も懐かしく語ってくれました。祖父は、仕事の朝礼でラジオ体操をしていた時、前に立って手本をみせてくれ、と頼まれたり、祖父が歌い出せばみんなそれに続いて歌いだす、という感じで、いつも気づいたらみんなの先頭にいるような人だったようです。田舎に帰っても、山の柴刈りの指揮をとってくれ、と頼まれたりして、みんなに頼りにされていたようです。外国についても興味を示していて、いつか行きたいと思っていたようで、その他にもいろいろと意欲的にやりたいことを頭に思い浮かべていたみたいです。

そんな大志を胸に抱いていた祖父ですが、先ほども少し書きましたが、田舎に帰って来ることになりました。祖母の元旦那さんが戦死し、祖母と結婚をすることになったからです。夢を諦めて田舎に戻って結婚し、そして、私の母達が生まれました。夢を諦めることは難しいことだったと思います。でも、祖母の為に結婚をし、その結果、母、そして私達が生まれて来ました。祖父母の孫として、父母の子供として生まれてくることができて、その時の祖父の決断に本当に感謝しています。

田舎に帰った後は、というと、紙の原料となる三又の木の栽培をし、生計を立てていたようです。良質の紙だったので、紙幣などに使われていたようです。祖父母の家は、江戸時代はその地方の庄屋だった為、古い茅葺の家ですが、とても立派で、大きく頑丈で、未だに完全に雨風をしのいでくれています。昔にタイムスリップしたような感覚に陥る家で、小さい頃、田舎の家に行くのが大好きでした。山水で顔を洗ったり、歯磨きをしたり、スイカを冷やしたりして、自然いっぱいの中で、のびのびと過ごすことができました。本当にとても素敵な空間でした。価値のある歴史物もたくさんあったようですが、地元の大学生が、寄付してほしい、とやってきて、価値のある物をほとんど全て渡したようです。見たかったのになぁ、残念。

祖父は勉強家で、学校に行かず独学で、いろいろな知識を得たようです。外国のことにも詳しく、地図がしっかり頭の中に入っているようでした。また、世界の地理だけでなく歴史にも詳しく、いつも私達が知らないことを教えてくれました。外国人の夫とも話が合い、お互いに情報交換をしたりしていました。とても開けた考え方を持っていて、聡明な祖父にいつも感心させられました。

そんな祖父との束の間の3人生活も終わり、祖父は入院をすることになりました。大きい病院は、高齢で末期ガンということで、相手にしてくれず、結局地元の小さい病院でお世話になることになりましたが、その病院でよかったと思っています。最後まで手厚く看病して下さって、とても感謝しています。祖父は、お医者さんに対してよく、治療の説明や治療方針についての意見を伺っていましたが、祖父の気が済むまでじっくり説明して下さいました。そして、できる限りの治療をして下さいました。とてもアットホームで暖かい病院でした。

入院してから、食べ物を口から入れることはなくなりました。喉が狭くなり、何も通らなくなったからです。なので、祖父の体力で耐えられるかどうかわかりませんでしたが、祖父の強い意志により、直接腸に管を入れ、そこから養分を流すことになりました。それと同時に、抗がん治療を行いましたが、高齢の祖父に強い抗がん剤は無理だったので、弱いものを少しずつ入れる、という形をとりました。実際、それによってガンに異変があった、ということはなかったようですが、喉を少しだけ膨らませて空間を作ることはできたようなので、口から物が少しだけ食べれるようになりました。それは一時的な気休めにしかなりませんでしたが、祖父にとっては、数ヶ月ぶりの口からの食事だったので、すごく喜んでいたようです。そして、流動食や液体などを少しずつ入れていきました。しかし、ガンは変らず進行していたので、その内また、口からもあまり何も入らなくなりました。妹がコーヒーを作ってあげると、スプーン2杯でもう十分、という状況になり、液体でさえも入らなくなってきました。

そんな中、私に何かできることはないか、と思っていると、外出する機会があるかもしれない、ということを聞いたので、帽子とマフラーをプレゼントしました。病院へ直接送ると、思いもよらない外国からの荷物に喜んでくれていたようです。帽子は帽子屋さんで買ったフランス製のもので、マフラーはカシミアのものでした。すると、祖父は、上手に撮ってくれよ、と写真を撮らせ、私のところに送ってくれました。結局、寒すぎて、外出をすると風邪をひく可能性があった為、外出はできなかったようですが、看護婦さんに嬉しそうに、フランス製だ、カシミアだ、と説明しながら見せていたみたいです。祖父は彫りが深く、日本人寄りというより、ヨーロッパ系寄りの顔をしています。実際、スペインで、祖父によく似ている人を見かけたことがあります。なので、その帽子とマフラーをしている祖父は、この辺りをスペイン人として歩いていてもおかしくないくらいで、すごく似合っていました^^母が祖父に似ているので、これまた彫りが深く、私が幼い頃は、お前の母ちゃん外国人~とからかわれていました。私は逆に自慢していたくらいなので、からかいにも何もならなかったのですが^^残念ながら(って嘘、嘘^^)私はお父さん似なので、彫りは深くないですが、祖父の先祖には間違いなく、外国人の方がいるはずと密かに思っています。だから、外国の地に興味があるのかなぁ、なんて。

祖父は常に治すことだけを考えてその為の努力を惜しまず頑張っていました。いつか治る日を夢見て、治ったら栄養士の勉強をする、とその後の夢を語ったりもしていました。いつも前向きで、病気と闘う気持ちはかなり強かったと思います。生きたい!という気持ちだけが祖父の体を維持させ、病気の進行を抑えていたと思います。祖父の精神力の強さを感じました。

でも一度だけ、私に漏らした言葉があります。わしの気持ちは誰にもわからん、と。相当苦しんでいたと思います。でもそれを表には出さずに、孤独に戦っていたんだと思います。

食べたくても食べれない、でもいつか食べれるようになることを夢見ながら、必死に病気と戦う…相当苦しかったと思います。以前ブログでラマダン(断食)を経験したことについて書きましたが、あれは一日の始まりと終わりには食べられるので、病気で、とか、貧困で、食べれない人たちの気持ちを100%理解することはできません。でも、少しだけ近づくことはできます。私達が今、当たり前のように食べていることを当たり前ではないと思いながら食べることは難しいかもしれませんが、常に心の片隅に置いておくべきことだと思います。一口一口を感じながら、そして日々の食事に心から感謝しながら食べる必要があると思います。

祖父は、精神力の強い人でした。最後まで前向きに、希望を持って、精一杯『生きる』ということをしていたと思います。祖父の人生は私達に『生きる』とはどういうことかを教えてくれました。結局、末期だと言われて約1年、祖父は生きました。生きたい、という思いが大きなエネルギーとなって、それで生き延びることができたんだと思います。

祖父のお葬式は1月5日です。すぐに飛んで帰るつもりでしたが、少し考えて、今回は帰るのをやめました。大学院の授業がもうすぐ始まります。祖父は、先ほど書いたように、勉強熱心な人だったので、私が勉強することをいつも喜んでくれていました。日本で大学院に行くことになった時も、留学することになった時も、先生になった時も、心から応援してくれていました。今回スペインの大学院で勉強していることも、勉強は大切だ、って喜んでくれていたようです。祖父に伝える度に、祖父の嬉しそうな顔を見る度に、心の中で満足している自分がいました。祖父の応援がとても心強かった。そんな祖父だから、大学院の授業を投げ出して日本に帰ることを喜ぶはずがない、と思い、今回は踏みとどまりました。本当は今すぐにでも行きたい。そして顔が見たい。でも我慢します。海外生活をしていて一番つらいのが、これです。遠すぎる…。

祖父が私達が贈った帽子とマフラーを本当に喜んでくれていたみたいで、今日電話で母が、棺おけに一緒に入れてあげるつもりだと話していました。帽子をかぶせて、マフラーを巻いて、お別れをするみたいです。それを見たらきっと、自分でも予測できないくらいの感情がドッと押し寄せてきそうなので、やはりこのままお別れする方がいいんだと思います。想像しただけでも涙が止まらないので。

最後に、母が話してくれた不思議なことを書いて終わりにしようと思います。今日、電話をした時、母が、不思議なことがあったんよ、と話してくれました。祖父がいつもしていた腕時計。亡くなった時間ぴったりに止まっていたみたいです。しかも、日付は22日。祖父が亡くなったのは2日。22日は、祖母が亡くなった日にちです。祖母が亡くなった日にちで、祖父が亡くなった時間に、時計の針が止まっていた、という、不思議なことが起こったみたいです。しかも、年齢も、祖母が亡くなった時と同じ年でした。みんな、祖父が一年も苦しんでいたのを不憫に思った祖母が、もう楽にしてあげよう、と連れて行ったんじゃないか、と話していました。

また、その日、妹が小旅行に出かける予定でしたが、満席状態で電車の席が取れず、結局行けれなかったみたいです。そのすぐ後に祖父が亡くなりました。もし行っていれば、またすぐ帰って来ることになっていて、子供も連れているので、大変だったと思います。これも意味があったんだろう、と話していました。

最後の一年は、祖父にとったら戦いの一年だったと思いますが、同時に、家族の顔を一番多く見た一年だったんじゃないかと思います。最後は穏やかな顔だった、と言っていました。今は、祖父が安らかに天国で暮らすことを祈るばかりです。また、祖父の意志を受け継いで、一生懸命勉強をし、人生を精一杯生きていきたいと思っています。

最後まで読んで下さってありがとうございました。コメントはいいです^^読んでくれただけで十分です☆
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あけおめ☆
今年もよい年になりますように!
おじいちゃんは、みんなが集うお正月に亡くなったんだね。これもおじいちゃんの気持ちかな。
安らかにおやすみください。
chami 2010/01/05(Tue)16:12:28 edit
chami☆san
ありがとう^^葬式が無事に終わりました。その葬式の間、私も葬式に参列してるような気持ちでずっと祈ってた。その瞬間、心は完全に向こうにあったわ。

寒くないようにって、私の送った帽子とマフラーをして、送り出してくれたんよな。似合っとったって。嬉しいな。

葬式があったのは日本時間の5日の10、11時で、こっちの5日の午前2、3時だったから、その後すぐ寝たんだけど、夢を見たんよな。穏やかな海辺にいる夢とか、他にもいろいろ。調べたら、穏やかな心、意欲に満ちてパワー全開の心、等々を表してるみたいで。本当かどうかわからんけど^^;でも確かに、私の今の心情はそんな感じで、心を乱して、マイナスになってるわけじゃないんよね。おじいちゃんの生き方がそんな生き方じゃなかったからだと思うわ。最後まで生きることに一生懸命で、最後、自分の命が消え去ろうとしてる時も、冷静に自分の状況を確認して、判断して、穏やかな顔をしてた、って。やるだけのことはやった、っていう感じだったのかもしれない。

正月に亡くなったからみんな集まれた、本当にその通りなんよな。chami☆chanの観点、いいね^^今電話したら、みんな集まって、思い出話に花が咲いて、時々しんみりなって、って感じで、一緒にいる時間を楽しんでた^^これからも親戚一同が集まれる場所にしよう、って。従姉妹達とも小さい頃を一緒に過ごした場所だから、兄弟姉妹のようだし☆おっちゃん、おばちゃん達も友達みたいな感覚だし☆また集まれる場所があるのは嬉しいな。おじいちゃん、おばあちゃんも喜んでくれるだろうしね^^
【2010/01/05 23:54】
無題
お祖父さまのご冥福をお祈り致します。
日記の中、思わず頷いてしまう箇所が結構ありました。
私も普段、食べる事を最大の楽しみとしているようなところがあるので、もしも病気などで、食べる事が出来なくなったり、食事制限が必要になったりしたら、とても辛いだろうな。。。と、いつも考えています。
地球上には充分な食べものがない家庭も多いこともふまえて、毎食毎食、感謝の気持ちで頂きたいとは、常に思っていることです。
えつぴょんちゃんと、えつぴょんちゃんのご主人と、3人での生活はさぞや楽しかった事だろうと想像します。
ある意味、えつぴょんちゃんのお祖父さんは、私の祖母に似ている、、、と思いました。
彼女も、色んな意味で日本人離れしていたし、私の夫のことも偏見なく受け入れてくれた存在でした。
今はとても淋しいとは思いますが、でも、えつぴょんちゃんの心の中にはずっとずっと永遠の存在だから。
時々、懐かしく思い出してあげることが供養になるかと思います。
まゆみ URL 2010/01/06(Wed)05:18:53 edit
まゆみ☆san
ありがとうございます。カナダからもおじいちゃんを思ってくれる人がいるって知ったら、おじいちゃん喜ぶだろうなぁ^^

食べること、私も大好きで^^食べれないなんて考えられない、と思ってた。でも、断食を通して、本当に少しだけど、食べれない人の気持ちがわかったような気がしました。でも実際、食べれることがわかっているのと、食べれないかもしれない、というのとでは全然違うから、食べれないかもという中で食事を我慢するのは、想像できない程の苦しみだろうなって思います。

本当に、食べる物食べる物、喉を通る毎に感謝してもいいくらいだけど、日々の生活ではなかなか難しいよね。でも、できるだけ意識しながら食事を大切にしていきたいと思っています。

まゆみちゃんのおばあさんも似たような性格だったんだね^^私の父方の祖母(97歳)も偏見なく、日本人外国人隔たりなく受け入れるっていう感じなんだけど、最初は驚いたよ。おじいちゃん、おばあちゃんの世代になると、そう人も少ないんじゃないかなって思ってたから、その開けた視野に驚かされた^^

ありがとう^^私の心の中には永遠に生き続ける存在だから、おじいちゃんの人生を、今まで同様、私の人生の一部にしていこうと思ってる。しっかり生きていこ☆
【2010/01/08 20:34】
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2007年4月からスペインのグラナダに住み始めました。
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